五と夏のBLの左右解釈の話

五夏の人間として、自分は解釈で左右を決めていた。

夏五の人間も解釈で左右を決めている人が多いであろう。

 

前日までの自分の解釈で言えば、自分の中で五夏は解釈ありきで左右を決めていたため、その立場が逆になることは考えにくかった。

 

だからこそ、本来同じものを見ている夏五の人が、どういった解釈をした上でタチネコが逆になるのか、とても気になっていた。

 

知りたい。一度五夏脳をリセットし、少し考えていた際に閃いたものがある。

その自分なりの気づきを、今回はここでまとめていこうと思う。

 

まずは、以下の①②に触れることで、左右観を掘り下げたい。

  1. 夏油を中心とした五夏解釈

  2. 五条を中心とした夏五解釈

私は五夏の人間であるため、先にもともと持っていた五夏解釈から話を始めたい。

 

 

夏油を中心とした五夏解釈

 

お互いにはお互いだけ、という信頼のあった友情が一方的に絶たれたことによる、五条から夏油への執着がまず前提にあると思っており、高専時代と離反後以降での五条から夏油への感情は別の形になっていると私は考えている。

 

夏油は、自分にとって大切なものを自分から手放してしまうことができてしまう人だと思っている(自分の心さえも)からこそ、たとえば恋愛としての形でお互いがくっつくためには、五条から夏油へのアプローチがないと始まらないと思っている。

まさに、236話での、「お前がいたら」のように、線引きされたその線をまず五条が踏み越え「お前が必要だ」とぶつけないと始まらないんじゃないか?という解釈である。

 

そもそも、夏油が五条に対してまっすぐぶつかれていたら、離反は起こり得なかったと思っているので、お互いがくっつくためには五条が夏油に対してその手を掴む必要がある、と思う。

 

夏油は五条に好意があっても、本人に自分から伝える人間ではない。

 

セックスで例えるなら、もし性愛があっても、まず最初に向こうからセックスを誘ってくることはない。 あくまで、五条からそういう好意で好きだ、セックスもしたい、と線を越えないと始まらないんじゃないかな、と思っている。 (その後、それを夏油に受容されることによって成立するという考え)

 

五条→夏油への積極性があってようやく五条と夏油はそういう意味でくっつけると思っているので、 個人的に五夏五はまず、 五条→夏油の構図が必要で、それが成立してようやく、夏油→五条、もしくは五夏五が起こりえるという考えがあった。

 

 

さて。

夏五の解釈についてを話す前に、唐突ではあるが、ここに「SEXしないと出られない部屋」があるとして、そこに五条と夏油がぶち込まれたとして考えてみよう。

もちろん、SEX以外での攻略は不可能。

能力で破壊することはできないものとする。

 

意味不明かもしれないが、とりあえず、気にせず先を読んでほしい。

 

高専時代の五条の反応、夏油の反応で例に出してみる。 五条であれば、いろいろ試してみた上で、記載されている脱出条件について、ふざけたノリで触れるかもしれない。

夏油であれば、ふざけた術式だと呆れた表情をしながら、それしか方法がないなら試さざるを得ないか、と最終的に反応するかもしれない。

 

おそらく、最終的な決定権は夏油に委ねられている。

傑、どうする?と聞くのは悟なのだ。

 

「こいつら殺すか?」

 

私にそう思わせたのは、上記の台詞があるからだ。

 

五条は夏油に善悪の指針を委ねていた節がある、と言うのはファンブックにて記述があったが、やはり今でも、五条は夏油からもらったものを自分の中で噛み砕き、行動しているだろう。

私の中で、五条は夏油が吐く正論に対してヤダヤダと文句を言いながらも、そうして夏油に甘えられる関係をおそらく好んでいたのではなかろうかと感じている。

 

夏油が五条に対して、自分ごと五条を巻き込む選択を選ぶことができたら、離反は起こり得なかったろう。

五条が夏油の内面に向き合い、本当の意味で傲慢になり引かれた線を踏み越えれば、離反は止められたかもしれない。

 

しかし、そうはならなかった。 それが答えなのである。

 

2期のラジオ(じゅじゅトークニキ)にて、五条悟演じる中村氏の監督の演技指導での発言が私の中で引っかかっていた。

 

五条を演じるにおいて、「痩せた?夏バテ?」と発言した際、最初は「五条は異変に気づいていない」と言う体で中村氏は演じたと語った。

 

しかし、監督からはリテイクを受けた。「異変に気づいている」体で演じてくれ、と。

 

もしかしたら、「そうめん食い過ぎ?」は、彼なりの心配を示した、ツッコミ待ちの発言だったのかもしれないな、と私は想像した。

なぜなら夏油の好物は「蕎麦」であるし、おそらく五条はそれを知っている。

「何言ってんだよ」と返事が来るのを期待して投げかけた言葉だったのかもしれない。

この時点で夏油に何か言われれば、五条はアクションを起こしたかもしれない。

しかし、ここで既に線は引かれてしまっていた。

「大丈夫」と夏油に言われてしまった以上、五条はその先に踏み込めなくなっていたのではなかろうか。

 

アニメージュなどのインタビューでは、監督と原作者はすり合わせをした上で収録を行なっているとある。

もしかしたら、原作者の意図と合わせるように事前に話し合いは済ませていたのかもしれない。

 

同じものを見ているのに、左右観が違う。

そうなるのはなぜか? それを考えるにあたって、私は一つ、仮説をたてた。

 

BLにおいて、二人の人間がいれば、必ずどちらかは攻め、どちらかは受けになる。

これから語ることを踏まえれば、以下のことが必ず起きる。

 

五条を中心とし考えれば、攻めは必然的に夏油になる。

夏油を中心とし考えれば、また攻めは必然的に五条になる。

 

この考え方にはまさに左右観がズレる解釈の綻び、穴があると考える。

五条の視点で考えるなら、夏油からの線引きを受け入れてしまったから離反を避けられなかったわけだし、 夏油の視点で考えるなら、自分の大切なものを心ごと蓋をすることができたから離反した。

 

五条が本質的に我儘であれたなら。

夏油が真の意味で利己的であれたなら。

 

彼らが、一歩踏み出しお互いにアクションを起こせていたのであれば、離反はもしかしたら止められた未来があったかもしれない。

 

しかし、どちらもその選択はできなかった。それが全てなのだ。

 

 

 

五条を中心とした夏五解釈

 

さて、上記を踏まえ、夏五の解釈について語りたい。

その前に、五条の立場での夏油との向き合い方をまとめたく思う。

 

五条は軽薄・適当だと周りの人物から評価をされているキャラクターだ。作者からは特定の女性に誠実になる印象がない、などとも言われている。

 

確かにそういう面はある。

しかし、それはあくまで表面上での話であり、対夏油にはそうでもなかった。

 

五条は、夏油離反後、夏油から与えられたものを大事に抱え変化した。

特にわかりやすいもので言えば「口調」であろう。

夏油離反という彼の人生にとっての転換点がなければ、そもそも教師になるタイプではなかったと間違いなく思う。

夏油のような存在をもう生み出さないようにと考え、呪術界を変えようと動いた五条。 呪術師が苦しむ世界を変えようと、非術師を手にかける選択をとった夏油。

 

お互いが持つ心の傷。それを他者の救済という行動を起こすことにより、トラウマに向き合おうとする姿はとても似ている。

 

昔言われた口調のことも。「弱い奴に合わせるのは疲れる」とまで言った五条が、他者のために行動しているのもまた、かつて親友から貰ったものと真摯に向き合い続けていることに他ならない。

 

五条は、夏油に対しては誠実であり続けた。

236話の「お前がいたら」で映る袈裟姿の夏油のシーンなどは、それがとても象徴的だ。 五条は、非術師を手にかけた夏油の「行動」を肯定はしないだろう。

それはそれとして、その選択をとった夏油本人の心情は尊重しているのであろう。

敵対した存在であっても、そんなお前でもそばにいて欲しかったと考えているのであろう。

 

それでも、五条は、夏油と敵対した際、事実として、自分の置かれている立場でやるべきことを選べた男だ。

それはとても消極的な状況選択でしかなかった。

そばにいて欲しかった存在を自分の手で殺す矛盾。

五条もまた、自身の感情を抑えて行動した。

 

物語の中で起きたことをまとめれば、五条悟もまた夏油傑にエゴをぶつけることはできなかったのである。

 

夏油は教祖をやっていたくらいだし、恐らく人誑しには長けている。

弁が立つから向いていたのはもちろん、学校に通うことそのものが呪術高専が初めてであった五条に、正論から友人という関係、その他諸々を色々と教えるのは楽しかったかもしれない。

夏油は五条に沢山のものを与え、しかし一方的に離れてしまった。

 

条から思い悩んでいた夏油に干渉することは当時できなかったし、様々な人との交流や出来事を得て、最終的に結論を出したのは夏油だ。

そういう意味では、間違いなく夏油に主導権があったとも言える。

 

主導権及び決定権を持つものがリードする立場だとして、それを前提とし受け攻めを考えるなら、高専時代においてその構図は、確かに夏五である。

 

しかしこれもまた、五条を主役として考えた時、の話である。

夏油視点において考えれば、少なくとも原作で自己犠牲の極みであった夏油は能動的に攻めにならないし、 五条視点において考えると、夏油に決定権を与え、その選択を重んじる五条もまた受容の男であった。

 

互いに相手を想っているが故の行動。

夏油は自己犠牲を。五条は親友への尊重と。

 

私はそれを、この関係性の中には、実は攻めが不在である。と結論づけた。

 

 

【総括】

 

ここまでを踏まえて、五条も夏油も、『お互いに対しては』ある意味「受け」スタンス同士のカップリングであると私は個人的に結論づけた。

五条は単体で見るなら、ふざけておちゃらけてみるような軽さを感じさせ、日夜あっちやこっちと仕事三昧の日々をまるで疲れてもいないような素振りで動き回るような行動力があるように見えるし、高身長で体格も良ければ外見は恐らく誰が見ても美しく、素顔を晒せば女の子たちから黄色い悲鳴を上げられたシーンがあるように、彼さえ望めば相手に困るようなことは無縁だ。

五条家のワンマンリーダーとして呪術界を支えるリーダーシップもあり、五条さえ望めば得られるもの、動くことも非常に多い。

 

夏油は(三輪と同様)呪術キャラでは1番モテるという設定もあるし、(髙羽から羂索に対しての評価ではあるが)塩顔イケメンで、設定上でも充分だというのに、人としてのまっすぐな優しさや思いやりの心があり、かと思えば夏油一派が惚れ込んだように、人を魅了する力がある。

乙骨の手を取った瞬間のように、強引にでも人と関わろうとできる行動力もある。 単体で言うなら、どちらも攻めのポテンシャルの方が圧倒的に高いと私は思っている。

 

だが、互いを相手にした時、どちらも及び腰にならざるを得ない。

その根底に、両者の愛と尊重があるからこそ。

 

線引きしてしまう夏油と、夏油の選択を尊重する五条。

 

彼らの想いは美しい平行線だった。

だからこそ、236で線を超え、ようやく平行線から混じり合った二人の結末が、私は大好きだ。

 

正直、ここまで理解し合うことができた時、私はどちらも攻めになりうるな、と感じた。

二人の関係性の中において決定権を持っていた夏油が引いた線は、五条の手によって超えられた。

拗れた関係性の中で作ってしまった、夏油の中にあった心の枷がなくなった以上、主導権を持つ夏油はいつでも攻めになれるし、夏油に対して踏み込めなくなっていた五条もまた、今なら攻めになれる。

 

まあ、そういうわけで。

の中で236以降の解釈で言うならば、 五夏の五条は頑張って攻めをしているし、 夏五の夏油は頑張って攻めをしている。そんなわけである。

 

見た目や表面上の性格だけなら、バリタチの攻め×攻めのカップリングなのに、 『お互いを前に』したときに限り、その本質としては受け×受けのカップリングであったというわけだ。

 

かわいいね。